HISTORY歴史を知る

石炭という素材からのあゆみ

STORY01私たちのルーツ

かつて大阪ガスが現在の天然ガスではなく、石炭から都市ガスを製造していた時代、都市ガスを製造した際に副生成物として発生するコールタールに着目し、これを活用できないかという視点で模索を始めたのが大阪ガスケミカルのビジネスのルーツです。

STORY02コークスやコールタールの販売から、
高付加価値製品の研究開発へ

大阪ガスケミカルの前身となる近畿コークス販売・関西タール製品という販売会社は、副生成物のコークスやコールタールなどを、そのままの状態で販売しており、それは決して付加価値の高いビジネスとは言えませんでした。そこで大阪ガスの研究者たちは、何とかこのコールタールをより価値の高い製品に変えることができないかと考え、研究に取り組みました。それが後の活性炭(生活環境)・CF・ファイン材料事業へと繋がっていきます。

STORY03CF材料事業(炭素繊維事業)のはじまり
ー炭素繊維の開発研究ー

コールタールから高付加価値製品を作る研究の最初は、炭素繊維の開発研究でした。当時大阪ガスだけではその技術が不足していたことから、ガラスを糸にする技術を持つ日本板硝子株式会社様、総合化学会社としての大日本インキ化学工業(現DIC)株式会社様の3社でプロジェクトを発足。大阪ガスグループ一丸となっての研究を進めるため、1983年に営業所や製造所で活躍していた化学専攻の5人の若手技術者がプロジェクトに選抜され、同じく他の2社からも集められた8人が同じ建屋で炭素繊維の製造研究に励みました。1987年には3社のイニシャルD,O,NにAdvanced Carbonを表すACを付け、DONAC(ドナック)を名称とした会社を設立。DONACARBOの商品名で生産を開始しました。
最初の20年、DONACARBOは使い道の探索にあたり苦労の連続でしたが、2008年にアメリカのオバマ大統領がグリーンニューディール政策を掲げ、脱CO2を担う太陽光発電を促進したことにより状況が一変。太陽光発電に必要な高純度シリコン製造時に、当社の炭素繊維を使用した断熱材が必要であることが分かり、飛躍的に事業が伸びました。現在では太陽光発電のみならず、LEDや半導体製造時に不可欠な素材として、事業が成長し続けています。

STORY04生活環境事業のはじまり
ー繊維状活性炭の研究を開始ー

CF材料事業に続き、活性炭の機能を持つ炭素繊維である、繊維状活性炭の研究を開始しました。当時、大阪ガスと、紡糸技術をもつ化学繊維会社であるユニチカ株式会社様がプロジェクトを組み、大阪ガス各部署から選抜されたメンバー4人が、ユニチカ中央研究所に出向し製造研究に励みました。当時のメンバーは所在地である宇治にマンション一室を借り、仕事が終われば寝泊まりをするというような研究漬けの毎日を送っていましたが、ついに1989年に吸着(adsorption)と全て(all)を組み合わせたアドール(Ad‘all)の商品名で繊維状活性炭の商業生産を開始しました。当初は用途開発に苦労しましたが、浄水器の普及により、アドールの持つ特性が浄水器にフィットしたこと、そしてなかなか使い道の理解がなされない繊維状活性炭を和紙の技術を用いて紙やモールド状に加工する技術を開発したことで、軌道に乗り始めます。また、事業の立ち上げ時には後に合併する武田薬品工業の営業責任者や開発責任者に事業の指導があったことも用途開発のスピードが速まった要因となりました。現在では浄水器や空気清浄機、公害防止設備部品など様々な分野で事業は成長し、化学だけでなく、機械や電気の知識を持つメンバーなど、多様なメンバーが活躍する組織として発展しています。

STORY05ファイン材料事業のはじまり
ーフルオレン研究の苦節ー

都市ガスの製造が、石炭から天然ガスに移行するにつれて石炭は不要になり、研究は縮小されました。現在のファイン材料事業の根幹となるフルオレンは、開発されつつあったものの実用化には程遠い状態でした。その中でついに石炭ガス製造所が閉鎖され、フルオレンに関する研究も停止命令が出る事態に。しかしどうしても諦めきれなかった一部の研究者は、研究道具一式をリヤカーにのせ倉庫に隠し研究を続けましたが、見つかり呼び出しを受けました。研究者は呼び出しを受けた夜のうちに、徹夜で企画書を作成し、翌日の会議の場で、フルオレンの可能性を訴え、何とか研究の継続許可をもらいました。
しかし、なかなかビジネスまで繋がる足掛かりが見つかりません。試行錯誤を続ける中でようやく、デジタル機器の発達に伴い、フルオレンの特長が注目されることに。デジタルカメラ用レンズの素材として採用されたことを皮切りに、携帯電話のカメラレンズ用素材としても採用数が増加し、独自の素材特長から世界の市場を席巻しました。 その後もフルオレンを中心として研究開発を続け、2001年のファイン材料事業開始からこれまでの短い期間に、数人の研究者で始まった研究が、多数の製品ラインナップを抱え、当初の10倍程度の規模となる現在のファイン材料事業にまで成長しました。

STORY06武田薬品工業における
活性炭事業の歴史

武田薬品工業は日本における活性炭の先駆者であり、1907年にドイツのバイエル社製品の独占販売権を取得したことからその歴史が始まりました。商品名シラサギはその当時から化学品製造、研究に携わる人にとって知らないものはいないと言っても過言ではないほど、その名を轟かせていました。最初は第2次世界大戦前の粗悪な日本酒を生成する用途から販売が開始され、大戦後の国内自社製造、フィリピン、マレーシアでの製造で規模を拡大。水処理や空気浄化のみならず、本来活性炭の機能において弱みと言われる部分についても表面修飾(添着)や、活性炭に機能を及ぼす細孔を制御する技術を用いることで、空気中の窒素と酸素の分離(分子篩)、電子を細孔表面にためる(キャパシタ)ことを可能にするなど、最先端技術で世界をリードしています。
2005年からは大阪ガスケミカルの生活環境事業と一体になり、原料から、素材、最終商品までを一貫で作ることができる世界唯一の活性炭事業者として活躍しています。

STORY07保存剤事業のはじまり

木材保存剤の歴史は1962年の旧西ドイツ・デソワク社(旧社名デソワク・バイエル社)との技術提携により始まりました。当時、木材保存技術を有する日本国有鉄道技術研究所から技術指導いただきながら手探りで開発を行い、1964年、現在も続く木材保存剤キシラモンの販売を開始。シロアリ防除剤として開発されたキシラモンは、他社品と比べ、防シロアリ、木材の防腐効果が優れていましたが、価格が他社品の倍以上であったため、実績がなかなか上がりませんでした。しかし1965年、その効果の高さから数多くのヨ-ロッパの文化財建造物での使用実績が認められ、文部省・文化財保護委員会の推薦により、法隆寺・東大寺などの修復工事に採用されました。これらを皮切りに、多数の重要文文化財や公共物件にも採用されるようになり、現在もその流れを脈々と受け継ぎ、文化財保護に活用されています。
1971年には、現在の木材保護塗料キシラデコールの元となる、キシラモン カラーエクステリア(外部用)/カラーインテリア(内部用)の試験販売を開始。その名の通り、キシラモンに防腐・防虫剤を配合し、着色したものが、キシラデコールの始まりになります。
もう一つの柱である工業用保存剤の歴史も古く、1969年の防腐剤スラオフの発売からはじまり、現在では、当初の製紙・樹脂・塗料・建材などの微生物繁殖抑制に加え、消臭・防虫・抗菌・抗ウイルスなど用途を拡大し工業分野で広く活用されています。
両事業とも約50年の歴史となりますが、今後も社会に貢献できるよう、時代に合った改良・新規開発を続けています。

STORY08大阪ガスケミカルの現在

現在の大阪ガスケミカルはこれまでご紹介してきたとおり、大阪ガスに端を発するCF材料事業・生活環境事業・ファイン材料事業に、武田薬品工業に端を発する活性炭事業や保存剤事業が加わったことにより、石炭化学技術と医薬・農薬関連事業で培った技術をコア技術としています。そしてその技術を活かし、新エネルギー・環境・エレクトロニクス分野の多様な製品を支える材料を開発・製造・販売し、世界中のお客さまにご利用いただいています。
さらに、2014年には世界に広がる活性炭製造・販売会社のJacobi Carbonsグループが、2015年には無機微粒子材料の製造・販売会社である水澤化学工業グループが加わり、提供する商品群の幅を広げています。これからも保有する技術やノウハウを結集し、お客さまのニーズに適う製品や技術の開発に挑戦していきます。